top of page

金婚を過ぎて、ダイヤモンド婚へ

2026年は 彼女の念願で 5月阿蘇へ:9月の連休に秋田・青森:11/下旬 紅葉の京都嵐山・比叡山を計画済!

10/9-12(金-月・祝)に下記を発想し、あっという間に計画が整った。

2610-9-12東横イン.jpg

10/9(金) 勤務は11時まで:時間休取得

智頭11h15⇒Sはくと6号⇒13h00三ノ宮13h15→Bus 1,200円→13h55伊丹空港
智頭11h15⇒Sはくと6号⇒13h19大阪・・梅田13h30→13h43蛍池13h52→13h55空港​

​大阪空港14h50⇒JAL2439⇒15h55宮崎空港

宮崎空港16h15→にちりんシーガイヤ14号 2駅→16h36宮崎
宮崎空港16h43→3駅→16h54宮崎

​<宮崎駅付近で旧友Nと再会・飲食>

'25/12/11 記

10/10(

宮崎12h25→にちりん10号 10駅→15h43大分
宮崎14h36→にちりん12号 10駅→17h47大分

​<大分駅付近で、旧友S と再会・3人で飲食>

10/11(

大分08h20→ゆふ2号 12駅→10h54鳥栖10h58→みどり19号 2駅→11h16佐賀

<旧友Oさんとランチ・歓談>

10/11(

佐賀15h00→リレーかもめ85号→15h23⑩武雄温泉⑪15h26⇒かもめ85号 4駅⇒15h56長崎
佐賀15h33→リレーかもめ37号→15h54⑩武雄温泉⑪15h57⇒かもめ37号 3駅⇒16h27長崎
佐賀16h35→リレーかもめ41号→16h55⑩武雄温泉⑪16h58⇒かもめ41号 2駅⇒17h22長崎

~ ~ ~

10/ 9(金)​<宮崎駅付近で旧友Nと再会>

宮崎駅付近 郷土料理 禁煙 夕食

N:全国自治体廟委員協議会西欧医療施設視察団$1997年11月17日~11泊を共にした同室・団員の彼:当時、宮崎県立病院の放射線技師長。で、1998年12月20日()鳥取県民文化会館〔梨花ホール〕開催の県民ミュージカル【茜・飛天】の舞台に(準主役の仙人ヤツミミ役で)小生が出演した際、彼は何と!宮崎から鳥取に来て応援してくださった♪

その後、佐賀のOさんと3人で、博多で学会があった際、2018年4月20日(木)に3人で会食!即ち、宮崎・佐賀から博多に来てくださったのです。

Nとはその後8年半を経過しての再会となります。

Oさん$西欧仲間です。

~ ~ ~

10/10()​<大分駅付近で、旧友S  君と再会・3人で再会>

大分駅付近 郷土料理 禁煙 夕食

S  君は、1970年度入学、鳥大マンドリンクラブの仲間

~ ~ ~

10/11() <旧友Oさんと再会>

佐賀駅付近 郷土料理 禁煙 昼食

~ ~ ~

Vista 機を大捜索し、見出した1997/11/25(火)夜に初探訪したラ・パン・アジル

~ ~ ~

ラ・パン・アジルで歌った思い出:末尾へ

~ ~ ~

ラ・パン・アジル訪問前に、4人でマレ地区にあるレストランで食事

全国自治体病院協議会西欧医療施設視察団の団員4人(名古屋、佐賀、宮崎と鳥取)

レストラン[オーベルジュ・ドゥ・ニコラ・フラメル Auberge de Nicolas Flamel はパリ最古の民間建築の地上階にあり、日本流2階は地区の集会所

~ ~ ~

大発見したオマケの時効写真

視察団は、1997/11/17成田発⇒フランクフルト⇒ミュンヘン3泊、リスボン2泊、ロンドン3泊、パリ3泊 11/28 シャルル・ド・ゴール空港⇒成田:解散

~ ~ ~

1997年11月から29年近くが悔過した2026年10月9日に宮崎のNと11日に佐賀のOさんとの再会が実現します。感謝至極です。

~ ~ ~

佐賀で学会があった際、Oさんと再会をし、美味しい佐賀牛を食べた記憶があります。時期は失念していましたが、古いフォルダを検索し、大発見!

2013NOv22佐賀1925.jpg
2013NOv22佐賀1951.jpg
2013NOv22佐賀1956.jpg
2013NOv22佐賀2018a.jpg
2013NOv22佐賀2140.jpg
2013NOv22佐賀2202.jpg

きっと、この会食の際に、「Nさんと三人で」とOさんが願い、勿論、小生も共感し、博多で学会があった際に、三人での再会が実現しました。Nは宮崎から、Oさんは佐賀から博多に来られたのです。

180420-1750.JPG
180420-1750b.JPG

2018年4月20日(金)に再会

180420-1805.JPG
180420-1805b.JPG
180420-1825.JPG
180420-1831.JPG

再訪したいお店です。

そして、2026/10/9(金)に、宮崎でNと11日に佐賀のOさんとの再会となります。感謝至極♬

~ ~ ~

3人で再会した前夜は彼との会食🌸◎

180419-1809.JPG
180419-2108.JPG

1971年or1972年・・・彼の軽自動車で、四国を巡り、フェリーで佐田岬半島を眺めつつ九州へ・・・。

以降46-47年近い歳月を経て、​「彼と二人」の機会でした。その後、6年余が経過した2024年12月 鳥取市内開催の鳥取大学マンドリンクラブOB/OG会で嬉しい再会

241222-1718.jpg

↑ 2024年12月 ↓ 1970年 ≒ 54年前の3人 

個人的には、全く未熟至極だった。授業をサボり、朝~昼はヨット、夕方からはマンドリンクラブ(マンクラ)の1年目:2年目に転機があり、ヨット部を廃してマンクラのみとし、導師のおかげでクラシック音楽にはまり込み始めた。懸命に(左脳で考えつつ・・・)聴いていたが、実際には、全くわかっていなかった。医学部6年間の医学進学過程2年間を3年かけ、即ち、留年を経て、やらやっと米子の本学へ。本学でも授業さぼり、部室に居る時間が多かった。

当時助教授の恩師の臨床実習を体験し、神経小児科学教室の一因となった。1977年5月に医師国家試験に合格し、研修医の身になったが、浅学・未熟者! “瀬戸際の医師”と自認し、(家庭・家族を顧みず)懸命の日々が続いた。1977年11月 には劇症肝炎の一歩手前 ≒ 致死の危険性があったが、幸い回復。結局、大学で学び研究する医師としては同門の歴代最低と自認している!大学にはシドロモドロの実13か月に留まった。

紆余曲折があり、1981年度から鳥取県立中央病院の常勤医となったが、ここでも“崖っ淵の医師”であり続け、臨床・(大学・県とのコラボでの)研究等に邁進し続けた。

後年、愛すべき辛口の某マンクラの先輩「こら大谷!おまえは米子に来れんかと心配していたゾ!」(最終学年では)「こら大谷!おまえは卒試に通るか心配しとったぞ!」(さらに)「こら大谷!おまえは医師国家試験に通るかと心配しとったぞ!」(オチがあり、)「こら大谷!それが何だ!ようけ論文を書きまくって!」との称賛!

75歳を過ぎた身で振り返ると、医師として、及第点の水準に至っていたかと・・・。

~ ~ ~

IQ と EQ:わが人生、幸いなことにEQ は高い!気づけば、被虐待児としての育ちがあり、自己肯定感が低いまま青年時代に至ったが、彼女との出会い・関係性が転機となり、自己肯定感が徐々に高まり、いつしか EQ が高まっていた。

EQ: Emotional Intelligence Quotientの略で「心の知能指数」を意味し、自分や他人の感情を認識・理解し、それをうまく管理・活用して良好な人間関係や問題解決に活かす能力。IQ(知能指数)が知識や論理的思考力であるのに対し、EQは共感力、自己制御、対人スキルといった「非認知能力」のことで、後天的に伸ばせるのが特徴

~ ~ ~

★旅行好き:萌芽は、中学校の地理で、地図帳を眺め続けたこと。高校の地理も、勉強しなくても試験で点数が取れていた。出雲高校の進学クラスの仲間が「大谷は勉強しいるように見えんが、何故、地理の点が取れるんだ?!」の返答に窮したことを思い出す。高校でも地図帳を見るのが好きであり続けていた。コレが今に至る旅行好きに昇華!

★クラシック音楽好き:マンクラの1学年先輩(誕生日は3か月1週間の兄貴分)K導師の影響と、湖山3年居た(1年の留年)ことが奏功している。やがて、オペラ!小生は文学に疎い。「詩」なんぞ、水と油のごとくで、ダメ!おまけに、英語が苦手で、語学に劣等感を抱き続けて来た。唯一、出雲弁!

オペラは「言語が分からないから、分かるはずがない!」と、毛嫌いしていた。が、ある時、映画・・・洋画を字幕で見ているのに気づいたことが契機となった。かつ、声楽家は「歌います」とは言わず、「演奏します」と。で、オペラの物語等を学習し、NHK-BSやWOWOWの日本語字幕付オペラ映像を“事前研修”し、本番に臨むようになって、ハマッテシマッタ!

★円安・ユーロ高:辟易するほどの価格!自由設計のウィーン2回目は2013年5月:カード決済で 1 EURが100円前後だった。2000年5月(結婚25周年記念と妻の願いで)ベネルクス3国をモニターツアーの底値で巡った。ブリュッセルで3連泊があり、全日自由日もあったことが選択の要!で、ブリュッセルとなれば、チョコレート!王室御用達の御三家(ノイハウス、ゴディバ、ヴィタメール)が「安い!」と、妻が大量に買い込んだ。1 EUR が90円を下回る日があった!

で、現在は、新コロ禍中を経て、世界的に旅行客が増えていることもあってか、航空運賃が高騰している。現地のホテル価格も(相対的に)高い!2026/5末~6月初旬のウィーン(ニーベルングの指輪4作&)を最後に、当面は国内!

西欧への飛行時間が長いことを嫌う妻談「日本にも良い所、行っていない地が多い。私が歩ける間に・・・」と。金婚記念で、彼女が願った「日光東照宮」「水芭蕉の尾瀬の山小屋に泊まりたい」「上高地に泊まりたい」「新緑とミヤマキリシマの阿蘇」('26/5)を実現。京都も再々企画・・・。

上高地への交通で、神戸⇔松本を飛ぶ FDA を知ったことも契機となり、地方空港を意識し始めた。

~ ~ ~

FDAFuji Dream Skylienz)や SKYMARK は半年毎の発売で、発売日のモニターが必須だが、一方、ANA・JALは1年近く前からの発売!

~ ~ ~

★二人で東北地方・・・:'26/9 は月~水が3連休!FDA は神戸⇔青森:未だ未発売の '26/9/23(水・) JAL 青森⇒伊丹 を底値(12,770円:空港使用料・税込)で '25/11/27に購入。往路 9/19() は伊丹⇒秋田が底値(14,860円:同)であり、購入済。合わせて、ホテルも秋田・青森で各2連泊を確保済。

★'26/10/9~12(金~月・)を検討し、本企画があっという間に成立!12/5 に伊丹⇒宮崎 & 長崎⇒伊丹を底値で購入!一人なので、レンタカー~観光は排除し、JRでの移動!となれば、利便性・コスパの点で東横イン!

かつ、旧友ともあっという間に連絡がとれて、再開が決定(・内定):感謝至極の購入から1週間の今

'25/1212 朝 記 

~ ~ ~

ラ・パン・アジルで歌った思い出

1997/11 添乗員談「ラ・パン・アジルは観光地化しておりダメですよ~」と。が、入店が21時を過ぎており、日本人は高齢紳士1人のみでした。そして、日本人4人が来たとあり、話しかけられました。「趣味で絵を描きにパリに3週間滞在し、今日が最後の夜・・・。ラ・パン・アジルが好きで、毎晩のように通っている。」さらに、小生が医師と分かり、彼は「日野原重明を知っているか?」と。勿論、承知していますと返答すると、「私は聖路加国際病院の人間ドック第一号だ」と。
ピアノ近くの大きな机の周りに座っていた歌手が順々に立って歌い、他の歌手は座してハーモニーを奏でていた。お客も然り。言葉が分からないので、小生はルルルー、ラララーとスキャットで雰囲気に浸った。歌手陣が休憩に入ったタイミングで、ピアノが「上を向いて歩こう」を奏で始めた。紳士に確認したら「おぉ!歌いたまえ」と。で、「第九」バリトンの声量で、高らかに歌い終えた。紳士談「ココに随分と通い詰めたが、君ほど朗々と歌ったのは初めてだ。嬉しい」と♪

~ ~ ~

15年後の2012年10月、妻の還暦記念で誘ったパリで、60歳の誕生日当日の夜にラ・パン・アジルを再訪。事前にメールで席予約した際、1997年のコトを付記した。

​店長は覚えておられました。で、店の中央に立たれ、話し始められました。要は、妻を立たせ、「彼女の満60歳誕生日だ」と拍手!かつ、Happy birthday --- を皆で歌い、さらに記念品の提供がありました。

~ ~ ~

記念品はラ・パン・アジルのポスターで、メッセージがフランス語で記したありました。

​[Pour Keiko ---]惠子のために---以降は、現時点まで未解読(笑)

~ ~ ~

帰国後、間もなくに妻談「シマッタ!雑貨屋に行きそびれた」と。小生「雑貨屋?!」と。調べたら、パリの雑貨屋は女性にとって、魅力的なお店と分かりました。で、2013年10月、パリを再訪。

​となれば、メール予約し、前年の誕生j日お祝い品の感謝を付記!

231013-2050.jpg

著名な史実ですが、ピカソ、ユトリロなど、貧乏な青年画家が、お金を払う代わりに絵を置いていた。後方の絵はピカソ作[ラ・パン・アジルにて]の複製画(本物は米メトロポリタン美術館)

2013Oct09a.jpg

~ ~ ~

私事、パリは初のパスポート使用1990/11、1997/11、2012/10と2013/10の4回(3泊+3泊+1週×2=18泊)。5回目のパリ・・・あり得るでしょうか・・・。パリ管弦楽団の新たな本拠地フィルハーモニー・ド・パリPhilharmonie de Paris)は 2015年の開館ゆえ、未体験です。

bottom of page