









◎ 終演後、カーテンコールの撮影許可公演
~ ~ ~
初登場の指揮者アンドレアスの父上・エルンスト・オッテンザマーさんは、鳥取で、手作りのリサイタルを開催・主催 $ したコトで、終演後の懇親会を含め、親近感を抱いていた。が、マサカ61歳3か月でのご他界!(心筋梗塞?)
で、長男ダニエル・オッテンザマーはウィーンフィルの首席で、ウィーン楽友協会での定演(・生のお姿)やNHK映像で馴染み!
そして、弟のアンドレアス・オッテンザマーはベルリンフィルの首席で、NHK映像で馴染みだった。
三人共クラリネットの達人!で、トリオでのリサイタル公演も!
~ ~ ~
今回初めてアンドレアスの指揮を体験した。失礼ながら、演奏曲はプロムナードコンサート並みで、演奏には(失礼ながら)さほど期待をしていなかった。
が、シューベルトの“ザ・グレイト”は、Vivid! 彼の指揮者としての才能に脱帽・敬服した次第でした。兵芸定演の再演・再登場は、都合がつけば「あり得る」評価です。
協奏曲のエーベルレもNHKの映像で馴染み!期待通りのヴァイオリンでした。

~ ~ ~
$ 梶本音楽事務所(現 KAJIMOTO)のツアー担当者からとっとり楽友協会主宰の谷口十三生さんに電話あり!四国(徳島?)のリサイタルを終えた後、大阪公演までゆとりがあり、可能なら鳥取でも・・・と。谷口さんから「どうしたものか・・・」と相談があり、急遽開催を決定。手作り、100人程度の聴衆でのリサイタルでした。
下記の実績・関係性があっての電話!
~ ~ ~
当時、Wiener Ring-Ensemble - ウィーン・リング・アンサンブルのニューイヤー・コンサートを鳥取で3年連続開催♪ 東京、大阪、名古屋以外の地方都市では前代未聞のコトでした。これを象徴する写真が 1994/1/8(土)朝、宿泊のホテルニューオータニ鳥取玄関前でのお見送り写真!
写真は、彼らのツアー担当者が「記念写真を撮りましょう!」と申し出されて実現。
梨花ホールでの公演終演後の前夜は同ホテル 13F で、とっとり楽友協会の仲間と懇親食事会!中央病院勤務時代の当時、時間がなく、妻の協力を得て、事務処理等の一翼を担っていました。で、妻も懇親食事会に参加!
記念写真、小生の隣に立つウィーンフィル 1 st.ヴァイオリンのザイフェルトさんが妻の肩に手を置いたツーショット写真などナド。
小生は地元紙(日本海新聞)に本演奏会への来場を促す紹介文を書きました。また、(平成の市町村大合併以前)鳥取市、八頭郡国府町、河原町、用瀬町のキャンペーンレディ(鳥取市はお盆期の大祭 シャンシャン祭りにちなんだ しゃんしゃん娘二人、流し雛で著名な用瀬町は流し雛レディ二人など)が、振り袖姿で、ロビーに各町村の紹介パンフレットを置いた場所に立ち、華やかなニューイヤー・コンサートになりました。アイデア提案と行政に対する折衝は小生が担当。このコトがあり、KAJIMOTO の担当者が、オッテンザマーさんにも話し、鳥取での(立ち寄り)公演の実現に至ったとの認識をしています。
なお、ザイフェルトさんとは、ウィーン楽友協会大ホール《黄金のホール》のステージ上で、ウィーンフィルの定演の休憩時間に、ステージに出て来られたコトで、ツーショット写真が記念に残りました。ウィーン・リング・アンサンブルの City Tottori での3年連続のニューイヤー・コンサートを(勿論)覚えておられてのコトでした。
妻評「ウィーンへの里帰り」は、強大国による相次ぐ一方的な侵略戦争や円安ユーロ高など(:時間としては単なるレート変動に留まらず、現地の物価高とそれを上回る賃金上昇)で、2026/5/29~6月初旬を最終と決めています。75歳半を過ぎた身でもあり、かつ、妻「国内にも良いトコロがある・・・」発言もあり、国内にシフト!結果(機窓も趣味人) 2026年は17回の離発着!(笑)
暦年齢との乖離が大きい、体感(体年齢)感覚と、行動実績・計画 → 感謝至極の人生です。'26/3/31記

